パーソナライズと個人情報保護は両立する
次の時代のマーケティングの主要テーマのひとつとして「パーソナライズ」があげられる。その際、同時に個人情報保護の問題が取り上げられることが多い。
パーソナライズがもたらす利便性を享受しつつ、個人情報保護の問題を抑制するには、個人情報を、個人識別情報と個人属性情報とに分けて考え、識別情報ではなく属性情報を使うことが鍵となる。
ここで言う個人識別情報とは、個人がどこの誰かを特定できる情報を指し、個人を識別するIDであることが多い。また、そのIDに紐付けされた個人属性情報がデータベースとして背後に在るのが普通だ。それに対して、個人属性情報とは、個人を特定はできないが、どのような個人かを示すことはできる情報を指す。趣味、読書傾向、体型、飲食の好み、贔屓の商品ブランド、居住地域(住所ではない)、年齢などだ。
もし識別情報が流通するようになると、個人を特定した過度のマーケティングが起きたり、過度の監視社会につながる恐れがあり、それが個人情報保護の問題として認識されている。映画「マイノリティ・レポート」で描かれた社会がその例だ。ユビキタスコンピュータは、個人を識別し特定することでパーソナライズされた広告などの利便を提供する一方で、同時に過度の監視社会にもつながるという設定だ。
しかし、パーソナライズの恩恵と監視社会の危険とは必ず表裏一体なのだろうか。実はそうではない。個人情報を、属性情報だけに限り流通させることで、パーソナライズの利点を生かしつつ監視社会を遠ざけることができるのだ。
これを、パーソナライズ広告の例で考えてみよう。ユビキタス社会では、個人の持つ携帯端末が往来のユビキタスコンピュータと通信し、パーソナライズされた広告やニュースを行きかう人に提示するというイメージが語られる。
この仕組みを実現する方法は2つある。ひとつは、携帯端末が発信する個人識別情報(ID)をユビキタスコンピュータが受信し、それを元に、情報提供側が個人情報データベースにアクセスして個人属性情報を引き出し、それにマッチする広告を表示する方式。もうひとつは、携帯端末が発信する情報は個人属性情報そのものに限り、ユビキタスコンピュータ側は、受け取った属性情報と広告とのマッチングと表示だけを行う方式だ。
ソフトウエア技術の用語を使うならば、識別情報を使う方式はデータのポインタ渡しであり、属性情報をそのまま使う方式はデータの値渡しである、と言えば、明瞭に理解できると思う。
あるいは、より一般的な言葉を使うならば、前者は記名による情報交換であり、後者は匿名によるそれである、とも言える。
前者は個人が特定されてしまうのに対して、後者はその必要がない。それでいて、個人の属性にマッチしたサービスを提供する点では同じなのである。
つまり、後者の属性情報をそのまま使ってやりとりする方式ならば、匿名のままでパーソナライズされたサービスを受けることができるのだ。
確かに以前は、情報機器の能力の制限があり、IDのような短縮された記号に頼る必要があった。しかし、いまはそうではない。情報処理能力の増大とXMLの普及で、属性情報を生のまま扱うことができるようになっている。
そうである以上、パーソナライズは属性情報だけに基づく仕組みとすべきだ。それにより、監視社会の危険を避けつつ、実りあるユビキタス社会を実現できる。
パーソナライズが取り上げられるとき、なぜか個人情報の漏洩が表裏一体のように誤って語られてしまうことがあるように感じるので、正しい認識がもっと広まってほしいと思う。繰り返しになるが、パーソナライズの恩恵と個人情報保護の両立は可能なのだ。
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