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2004.03.13

マドリードの列車爆破テロ

  糸井重里さんのサイト「ほぼ日」の中のコラム「カナ式ラテン生活」は、スペイン在住の日本人女性カナさんが日常生活をレポートしてくれるコラムだ。そのコラムに、マドリードの列車爆破テロの投稿が載っている。
  現地では献血に長蛇の列ができているらしい。皆、他人事とは感じられずにいるとのこと。報道の中での「今朝、普通に家を出たまま家に帰れないひとが、何百人もいるのです」との言葉が重く響く。
  ところで、TV報道を見たカナさんの何気ない一言が私には引っかかった。「スペインではボカシなどは一切入らないから、本当に、もう、息を呑むような光景だ。」 これを、例えば阪神淡路大震災のときの日本の報道の自主規制と比較してみて、どうだろうか。当時、日本のTVや新聞は、悲惨な映像を極力流さないよう、自主規制したのだった。
  あの災害が大惨事だったというのは、理屈ではわかる。しかし首都圏に住んでいて、しかも、映像でその悲惨さを見ることがなかった自分にとっては、申し訳ないとは思いつつ、やはりある意味で他人事だったのだ。もし、映像でその酷さを目の当たりにしていたら、あるいは、献血でも何でもしたかもしれないし、寄付も、街頭で500円という規模でなく、もっと出したかもしれない。しかし、そうではなかった。いてもたっても居られず現地に出かけた人も大勢居た一方で、私のように特に積極的に行動はしなかった人が大多数であったのではないか。
  そう思うと、平時の良識に基づく自主規制の程度について、考え込んでしまうのだ。「あんなひどい映像を流すなんて」といったナイーブでヒステリックな反応を恐れるあまり、報道の意義を後退させてはいないだろうか。倫理コードの意義はもちろん認めるのだけれども。

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