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2004.03.28

blogの使い方

  JOI ITOさんがblogで書いている「ブロガーの壁と多面性の崩壊、および魔法の数字150について」。私的なメディアとして書き始めるblogですが、多くの人から注目されることを自覚するにつれて、「浅い」ことしか書けなくなるという話です。

  同じことを言っている人が他にも何人かいました。また、blog以前にも私的な日記をWeb上で書いていた人が、読者からのメールに精神的負担を感じてサイトを閉じることもありました。ITOさんも書いているように、これはブロガーの「壁」なのでしょうか。

  ひとつのテーマに絞って、ディープな内容を書き綴るブロガーもいます。そうしたケースでは、ITOさんがデーナ・ビドさんから引用している「多面的なアイデンティティの決壊」は起きません。なぜなら、はじめから自分の一面だけを意識して露出しているからです。そこには読者との間に、それが筆者の一面にすぎないことの了解があります。
  一方、blogを日記として考え、自分のプライベートを自覚無しに露出しているケースでは、読者の存在に戸惑いを覚えるのかもしれません。

  blogというメディアは、情報の断片がリンクでつながって総体としてairを持つもの、という考えが、これまではありました。しかし、そう限定的に考えなくてもよいのではないでしょうか。
  深く考えて書かれるarticleをハブとして、コメント的な断片を短く書くarticleがその周辺にリンクされてある。全部をあわせると、従来型掲示板でのひとつのスレッドと同じ効果を持つのだけれど、掲示板のように場にひきずられることなく、個々人の文脈がより強く意識される。ひとつのトピックが、こちらで盛り上がったかと思うと、また別のトピックがあちらで盛り上がる。それがあちこちで繰り返される。中心になるblog作者の負担は増えるけれども、それは固定化しない(ことで負担感を減らす)。
  そんなイメージで、blogというメディアが柔軟に使われることを希望します。

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