« December 2003 | Main | February 2004 »

January 2004

2004.01.27

登録建築家制度

  一級建築士の資格は生涯有効なので、定期的なチェックが必要であるとか、あるいは、そもそものハードルが低すぎるとか批判があったところだ。神戸新聞の記事「独自の登録制度開始 日本建築家協会」によると、このほど日本建築家協会が、登録建築家制度をスタートさせたそうだ。建築士のレベルアップに役立つのであれば、いいことには違いない。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.01.26

コンテンツ産業振興議員連盟

  少し前の日経産業新聞の記事で見かけたが、「コンテンツ産業振興議員連盟」というものがあるらしい。記憶のためにメモ。
  まだあまり力はないようだが、知財関係ではこれが政治の世界の窓口になるのだろうか。また記事には「エンタメ族議員」なることばもあった。族議員というと建設とか道路とかと癒着してダーティーなイメージがあったが、エンタメもやはりダーティーかな。これからダーティになっていくのか(笑)。
参加議員は、はてなで見られる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

東急桜木町駅廃止

  東急東横線が、横浜市営地下鉄に乗り入れになり、その代わりに横浜-桜木町間が廃止になるそうだ。その廃止が今月末に迫ってきて、鉄道ファンの姿が、桜木町駅と高島町駅で見かけられるようになった。
  国道に沿って高架を走る姿をカメラに収めようと、6車線の国道に三脚を構えてなかなか危ない(笑)。それを観察していて気がついたのだが、昨今の鉄道ファンは年配者が多いのだろうか。中学、高校生は、少ないような気がする。彼らが「てっちゃん」と呼ばれていたその昔は、若者が中心だったと思うのだけどなあ。
  ともあれ2月1日からは、ここにはもう電車は来ない。私が高校生の頃は、この高架を走る京浜東北線から造船所のドックで建造中の船が覗き込めたものだったけれど、それもはや遠い思い出だ。
  残った高架は遊歩道にする計画があるらしい。歓迎だが、高架の下はぜひ自転車バイク置き場にしてほしい。バイク乗りとしては、胸を張って置ける場所がほしい。あの高架沿いに自転車置き場が並べば、MM21への集客力も、一気に上がることは間違いないと思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.01.24

「リクルート」

  「リクルート」はスピードを感じさせる。というと語幣があるだろうか。ハイスピードアクションとはもちろん違う、いろいろなお話の分岐を匂わせて、観る方を退屈させない。一線を退いた新米相手のCIA教官役アル・パチーノと、才能ある新人役のコリン・ファレルの組み合わせがいい。ファレル演じる新人の父がCIAのエージェントとして謎の最後を遂げたことが話の切っ掛けではある。しかしそれにはほとんど触れずに、過酷なスパイ教育の過程と謎、生徒どうしの信頼と騙しあいの果てに明らかになる*あること*に焦点を絞って、密度高く仕上がっている。ケビン・スペイシーがよかった「交渉人」をちょっと思い出した。似たような雰囲気の映画。
  コリン・ファレルは「フォーン・ブース」でも、ほとんど一人芝居とも言えるハ-ドな役をみごとに演じていたけど、ここでもまた高品質の演技を見せてくれる。ちょっと暗めで神経質な役が似合っているのかも。恋愛の主人公には今のところ向いてないな。。
  上映期間が短いので興行的には失敗なのかもしれないが、フォーン・ブースとともにお勧め。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

DeCSS訴訟取り下げ

RIAAも、この訴訟戦略は無理だとわかった、ということだろうか。
DVDクラッキングコード「DeCSS」公開を巡る訴訟が取り下げに
いうまでもなく、
ノルウェーのティーンエージャーDVDハッカーに無罪判決
が影響していることは間違いないだろう。もちろん、ツールの作成が合法だとしても、それを使って不正コピーすれば問題であることは変わりないのだが。

  結局この問題は、音楽配布の媒体がCDからネットに移行する過程での軋轢に過ぎないことがはっきりしてきたのではないか。完全に無料ですべての音楽が手に入るのはおかしいという考えに、異論はほぼあるまい。一方、現在のCDの値付けや収録曲目のあり方に対して利用者側に不満があることも知られている。だとすれば、利用者と著作者が折り合えるバランスポイントが見つかれば、問題は収束していくだろう。
  そのバランスポイントを見つける試みが活発になってきたというのが、23日の日経本紙の記事「『無料』退潮、『有料』に勢い」。記事によれば、(レコード業界自身の承認のもとで)合法的な有料配信サービスが続々立ち上がる一方、従来型のCD小売業の衰退は顕著だという。音楽配布の分野でも、ネットを使ったダウンサイジングが進行しているということだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.01.21

インターネットはOS(=インフラ)

  ときどき見かける、「インターネットはインフラ」論のひとつ、「インターネットはOS」論の紹介記事があった。
オライリーのインターネットOS論
CISCOはBIOSで、ネットはOS、という比喩がおもしろい。

「I tend to call this the "true Internet era." We could also call it Internet 3.0 (with the old telnet/ftp era being Internet 1.0, and the web being 2.0).」
という時代区分は納得できる。
アマゾンやeBayの付加価値の源泉はソフトウェアではなく、保有ユーザのクリティカルマスだ。
というあたりは、マーケティング屋さんの間では常識だ。Tim O’Reilyのような、マーケティング専門家ではない人にも、そうした認識が拡がっているということか。
自分が「internet operating system」と呼ぶ理由は、ウェブと従来のデスクトップ・アプリケーションを超えて、「new network-based services」が生まれているからだとTimは言う。それは何か。P2P file sharingであり、distributed computationであり、location servicesであり、searchであり、identity managementであり、このリストがどんどん膨らんでいくのだ。そういう層をIOSと呼ぶべきであり、シスコのIOSはむしろインターネットのBIOS層みたいなものなのだ
なるほど。ここはわかりやすい比喩になっていると思う。

  「そういう層」を、アプリケーションと呼ばずにOSと呼ぶことで、インターネットアプリケーションと考えられてきた各種のサービスが、実は社会のインフラであるということを、よりはっきり示せる。ひとしきり話題になった「Google八分」の問題は、Googleサービスがアプリケーションではなくインフラ(=OS)であると考えれば、問題の大きさが理解できる。

  梅田さんはまた、同コラムの別記事「まだインターネットは始まったばかり」の中で、ジェフ・ベゾスの講演で、ネットを電気に例える話を紹介している。「明るくする」目的で用意された電気というインフラが、「明るくする」以外の目的にレバレッジできることに人々が気付いたとき、電化製品というものが生まれた、という。そして、ネットはまだ「明るくする」段階だ、というのがビジョナリとしてのベゾスの考えだというのだ。そして、アマゾンは

基盤となる技術が進歩し、ディスクがどんどん安くなり、バンド幅がどんどん安くなり、CPUもどんどん安くなり、我々のビジネスにとっての素材(生の食材)がどんどん安くなる中、我々は、いかにしてさらに安くなっていく素材(生の食材)を利用して顧客にとって特別な何かを提供するかを明らかにし、そういう基盤イノベーションの上位レイヤーに価値を創出するのだ。
  まったく同感である。接続プロバイダのサービスも cheeper and cheeper になり、その上のレイヤで付加価値を競うことに焦点があたる時代が来るに違いない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.01.15

ブログツール一覧

ブログのツールとASPサービスについて、まとめた記事を発見。
Blog of Yoshishin > iBlog
著者はISPの内情に詳しい人らしい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.01.14

情報社会2つの見方

  「技術革命の歴史からITの行方を考える」は、よい視点を紹介してくれている。IT技術があたりまえになったことで、「それから10年・20年単位で、大規模な(産業の)構築ステージに入っていく。」という。

  一方で、情報化社会というのは、本質的な革命ではない、という意見もあり、こちらは、IT革命も資本主義のもとで進行している現象であって、その意味で本質的な変化ではない、という。「Esaka Takeru's Memo」で紹介のあった、「「情報社会」を読む

  二つの見方は矛盾はしないと思う。経済の筋肉や神経を構築する「革命」と、資本主義との間に矛盾はない。ただそれを「革命」という言葉で呼ぶかどうかの違いだ。その言葉が論争のタネであるなら単に「変化」とでも呼べばいい。
少なくとも、ITがもたらすものが大きな「変化」であることに異論はないだろう。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

blogメディアの社会性

  blogの社会性について、わかりやすくまとまった指摘があったのでメモ。
「またいらないモノ買っちゃったよ」の記事「04・01・12 blogで何がどう変わるのか?」から。

  著者は、ホームページとblogの違いは、マスメディアが持っているような社会性の有無であるという。blogは「観ている側が暗黙のうちに「皆が観ているだろう」という期待や仮定をもって観ている」TVと同じような社会性を持つ可能性があるというのだ。blogが社会性を持つ理由としては、トラックバックによる逆方向のリンクをあげている。

  概ね賛成だが、少し補足したい。
  筆者も言及している「Six Degree」のイメージは、これまでの現実の世界においては、広がりに限界があったとも言われているのではないか。その理由は、中継するノードが生身の人間であり、情報伝達の物理的限界や情報選択の嗜好から、伝えられる情報にある種のフィルターが掛かるからだ。
  トラックバックは自動的に行われるので、ノードの管理者が意識的に個々のトラックバックを選択的に排除しないかぎり、フィルターは働かない。「Six Degree」のイメージが理屈どおりに実現する可能性があるのだ。

  もちろんこれは一方で、情報の希薄化につながるかもしれない。的外れなトラックバックやスパムを排除できなければ、結局は「からっぽの洞窟」にもなりかねない。
  コンテンツを吟味して流す「放送」に対して、技術論的発想から語られがちな「ネットワークメディア」がコンテンツの妥当性をどうやって保つのか、これからの課題だ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.01.12

過去のコンテンツ利用

  C-NETの森さんのコラム「著作権の抜本改革よりも事業モデルの多様化を」は、前向きな洞察を示してくれている。それに便乗して、過去のコンテンツ活用についてのアイデアをメモ。

  森さんは、過去のコンテンツを活用する際の問題として、権利者が分散していて調整が難しいことをあげ、過去のコンテンツよりこれから作るコンテンツに目を向けるべきだと主張する。
  ここで、問題をもう少し正確に言うと、過去のコンテンツの再利用の際に調整が難しい理由は、権利者が分散していることではなく、契約内容が厳密に定義されていないことなのではないか。具体的には、コンテンツを流す媒体の定義、権利者の一覧とその役割分担・権利割合、が明示されていないことが問題だと考える。

  森さんの言うように、未来のコンテンツに着目することには賛成だ。ただし、このコラムが新しい作品の制作に重点を移すべきとする点を主題にしているのに対して、ここでは、新しい作品を作る過程で合意が進むであろう契約内容の一般化を、過去の作品利用に援用できないか、というイメージを主に考えたい。

  新しい作品の製作における契約は、上記の2つの問題点、予期せぬ新媒体への対応と、権利者・役割・権利割合の一覧、の2点を解決したものになると考えるのが妥当だと思う。なぜなら、関係者はこの問題の困難を既に十分経験しており、同じ過ちを繰り返すとは思えないからだ。そう考えると、今後、新しいコンテンツ制作契約を積み重ねていけば、両問題に対応可能な一般的なルールが醸成されていくことが期待できるのではないか。

  そうであれば、その一般的なルールがある程度定まってきた段階で、過去のコンテンツについてもそのルールを適用することで、スムーズな再利用ができるようになるのではないか。例えば、過去のコンテンツ利用にあたっては、主だった権利者で短期間に調整後まず再利用を開始し、その後もし他にも権利を主張する申し出があれば、一般的なルールに則って誠実に対応する。協議は、新設予定の知財高裁で迅速に行う、という考えが成立しないだろうか。

  事前調整型から事後救済型に、社会が舵を切りつつあるなかで、著作権についても、迅速な事後対応による処理が一般的に行われるようになると期待したい。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2004.01.10

勇み足で不正アクセス3

  不正アクセス禁止法が、第三者によるサイトのチェックを抑圧する方向に働きかねないという指摘について。現状ではそのとおりだと思う。しかし、この法律がなかったとしたら、不正アクセスを容認することになってしまうだろう。
  実害が出たときだけ罪に問えばよいとする考えもあるのだろうか。しかしそれに対しては、罪に問うべき相手を特定することがそもそも難しい点を指摘したい。例えば、個人情報が盗み出されて悪用されたとしても、いったいどのサイトから盗まれたものなのか特定はできないだろう。やはり、不正アクセスそのものを禁止する必要はありそうだ。

  そこで、不正アクセスを禁止しながら、なおかつそれが、第三者による善意のチェックを抑制しないような方策を考えることが必要になる。「勇み足で不正アクセス2」で書いた案は、自動車のケースを参考に、第三者チェックとして公的機関によるチェックを考えたもの、ということもできる。そのほかに、どのようなルールがあり得るだろうか。

  米国では、セキュリティホール発見者がサイト管理者に通報し一定期間後に公表する、という方法があると聞く。しかし、この方法では、サイト管理者が一定期間内に穴をふさぐことができなかったときに、困ったことになるだろう。「その程度のサイト管理者はサイトを開く資格はない」という過激な考えは、ここではとらない。現実的な対処方法を考えたい。

  セキュリティ管理について助言する機関を設置し、そこで穴に関する情報提供を受け、必要に応じてサイト管理者を指導するようにする。サイト管理者が怠慢なときは公表する権限を与えておく。第三者は、この機関に穴情報を通報した場合に限り、不正アクセス禁止法違反を問わないことにする。というのはどうだろうか。office氏のような人に、この機関のメンバーになっていただければ、効果的なのでは。

  この問題については、第三者チェックを抑圧しようとする新聞社の裏の意図うんぬんなどという、陰謀めいた方向に流れる意見もあるようだが、私としては、まじめに解決方法を探すという建設的な方向で、今後も考えたい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ブックマーク

  bookmarkを記事の中に収めて、トップページからは、その記事へのリンクを張るだけにした。bookmarkは、並び順を細かく操作したいのだが、マイリストの仕組みを使うと、日付順しか選択できない不満があった。それを解消するための工夫。今後は、bookmarkカテゴリの記事を、必要に応じて書き換えればいい。

  この変更の結果、トップページの見た目がすっきりした代わりに、bookmarkのコンテンツを見るために1クリック余分に必要になった。しばらくこれで具合を見てみる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.01.08

Googleの公共性

  「圏外からのひとこと」はいつも新しい気付きをくれる。「Google八分の刑」という難問では、Googleの権力の隠れた危険について指摘があった。その村八分が実際に始まったらしい。「リアル「Google八分」?」でその事例があがっている。レッシグ教授の言う「コードによる支配」の新たな実例か。

  それにしても、事実上の独占企業によるこの種の行動は、不公正競争とか、営業妨害とかにあたるのだろうか。
マイクロソフトが、Windowsデスクトップに置かれるアイコンに影響力を行使したときは、不公正競争という理解だったか?
  Googleの権力はそこまで強くないとの考えは楽観的過ぎるかもしれない。梅田さんのコラム「GoogleはインターネットのOSになるか」では、Googleがネット上の全てのコンテンツをWRAPする可能性について、複数の意見を紹介している。もしここで言われているイメージが実現すると、Googleの権力はマイクロソフト以上になるかもしれない。

  梅田さんのコラムではまた、Googleが、コンテンツを選ばない非常にシンプルな仕組みであることにも触れている。その点に着目すると、Googleは、通信キャリアのような中立的な性格を持つ(べき)ものでもあるのではないか。そして、通信キャリアが通信の秘密を守る義務を負わされているように、Googleに対しても、コンテンツの性質によって対応を変えることがないように、求めていくべきなのではないか。

  公共とは何か、という古くからの問題が、ネット上でも繰り返し問われそうだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

日本国憲法のよみ方

  このところ、憲法改正への動きが表面化しているらしい。また、とても気になるのだが、TVのアナウンサーの口から、「敵のミサイルを打ち落とす」うんぬん、という表現が近頃しばしば聞かれるようになった。「敵」って一体誰なんだ。そんなに気安く誰かを「敵」呼ばわりしていいのか。どうも不穏な傾向だ。
  と、漠然と不安に思っていたら、図書館で、改憲反対の意見がわかりやすく書かれている本を見つけたのでメモ。

Q&A 日本国憲法のよみ方」 弓削 達 監修  反改憲ネット21 編  明石書店

  この程度のことも私は知らなかったですよ。でも理系の人たちはたいていそうなんじゃないかなあ。。(違っていたらごめんなさい。私の思い込みに過ぎないことを期待します)。
  この本は、とっつきやすくて、本質を平易に書いてあって、おすすめできる。このレベルの内容を平易に書くというのは、簡単そうに見えて実は難しいことなんだろうな。内容の重要そうなところを、自分なりの理解に基づいて、簡単にメモ。

▼憲法は、国民が国家に課すルール。
  私は、去年これを知るまでは、「憲法は法律の親玉」という、ずれた認識しかなかった。法律が、国家(権力)が国民に対して課するルールであるのに対して、憲法はその国民が国家に課すルールであり、両者は本質的に異なるものだ。そして、法律が憲法に違反してはならない点で、憲法は法律の上位にある。
▼「現憲法は米国の押し付け」主張は明らかな間違い。
  著者によれば、当時の政府憲法調査会が作った草案は、明治憲法をほぼ引き写したようなものだったので、GHQは政府に対して、GHQ草案と憲法調査会草案の両方を公表し国民投票で決めるという選択肢も示したが、政府は国民投票をきらい、自らGHQ案を受け入れた、という。なんのことはない。国民投票に掛けられて、政府案があからさまに否定されるのが嫌だったのか。押し付けられたと感じたのは、国民ではなくて、支配層である政府の人たちだったわけだ。
▼軍隊が守るものは、国民ではなく、そのときの支配体制。
  太平洋戦争のときの日本軍はまさにそういう印象がある。主権が天皇にあるという憲法のもとでは、それは当然の行為とされたのだろう。現憲法の下では理屈上は違うはずだが、現実に戦争になればどうなるか分からない。
▼万一攻められたら。。
  著者はこれに対して、侵略戦争を起こす側の不利益をあげ、現代政治において蓋然性がないとして、「攻められたら」を議論の前提に置くことに疑問を投げかけている。それは妄想か、あるいは危機感を煽ることで利益を得ようとする人たちのプロバガンダだというのだ。
  なるほど、煽りの部分もあるかもしれないが、私はやはり不安を覚える。この不安は、今の国境が、県境に感じられるくらいに世界が身近になるまでは、ついてまわる感覚だと思う。
▼それでも万一。
  著者は、それでも万一の場合にもきちんと言及しており、非武装、非暴力の市民的抵抗によって対処することを唱えている。その実例として、「プラハの春」におけるチェコスロバキア市民の行動をあげている。私は、自分にそうした行動をとる勇気があると思いたいが。。どうかな。実際にそう綺麗にはいかないかもしれない。
▼新しい人権の導入という餌。
  「知る権利」「プライバシー権」「環境権」などを新しい人権として憲法に明記すべきとの提案があるらしい。著者は、それらの諸権利は「知る権利」を認めた最高裁判決に見るように、法律でも保障できるので、憲法改正の理由とする必要はないとしている。むしろ、それを足掛かりに、改憲を既定路線にしようと意図する空気が問題だという。私はそれに同意するけれども、改憲の議論が始まったのなら、これらの権利について検討することはかまわないと思う。あくまでも順序を間違えないことが肝心。
▼「公共の福祉」から「公共の利益」への言い換え。
  前者は、他人の人権を侵害するときは個人の自由は制限されることを言っているのだが、後者は、「公共」の意味を「国家」にすり替え、国家(権力)による人権侵害を容認しようとする意図があるのではないか。わざわざ言い換える必要はないのではないか。
  そんないんぼーがあるのか。姑息だなあ。いかんですよ。
▼首相公選制。
  人気投票になりかねない。その結果、個々の政策で民意に反することが行われる弊害がある。また、地方自治体の首長と異なり、リコールも容易ではないので、暴走したときに歯止めを掛けにくい。もっとも、この問題の真の原因は、国民の政治に対する関心の低さなのだが。
▼「住民投票は住民エゴ」「民主主義の暴走」。
  民意に従った政治を行うには、たまの選挙だけは十分でない。選挙はそもそも、直接には、代表者を選ぶものであって、細かい政策の是非を問うものではない。重要な政策を国民がチェックする仕組みとして、住民投票は国民主権の理念にかなったものだ。「住民投票は民主主義の誤動作」との主張は、国民の政治参加を否定するものであり、「政治の誤動作」をもたらす。
▼靖国参拝の問題点。
  政教分離原則に反する。また、A級戦犯(戦争指導者)に対して祈りを捧げることになる。ドイツの首相がヒトラーを祀ったりするだろうか。さらに、国家が国民の死に方を差別することになる。靖国に祀られているのは、軍人軍属等だけで、空襲で亡くなった人や官憲の拷問で殺された人は含まれていない。片方だけに祈りを捧げるのは、どうか。

  以上、取り上げなかった項目もあるが、大雑把にまとめてみた。
  関連して思い出すのは、ヤンキースの松井秀喜だ。彼は、渡米して飛行機を降りたその足でグラウンド・ゼロに行ったそうだ。それについてTVのインタビューがあった。そのときの彼の言葉を要約。「やっぱり平和を望みます。自分が野球をやれるのも平和だからなので。戦争はいやですね。」

  当然ながら、一方の意見だけ知るのではなくて、改憲賛成の人の意見も読まねば。小沢一郎の書いた本なんか読んでみようかな。

| | Comments (0) | TrackBack (3)

2004.01.06

「情報化社会と人権」

なかなかいい本を見つけたのでメモ。
新版 情報化社会と人権」 明石書店 山下栄一 井上洋一

全体に平易な言葉で本質をうまく表現してくれていると思う。漠然としか分かっていなかったことを、はっきりさせてくれて、勉強不足の私にはたいへん有り難い本。
例えば人権とは何かについて、

権力の行き過ぎに対して、人間が人格的存在として持つ固有の尊厳を取り戻し、擁護していこうとする闘いを通して、徐々に勝ち取られてきた人間社会の基本原理こそ人権なのである。
人間社会に不可欠な秩序を作り出し、保持していくために、人間社会には何らかの形の「権力」が必要である。だがその権力は本質的に乱用への傾きを内蔵している。そこから、人権の理念の確立が人類の存続そのものにとっても、不可欠の重要性をもつことになる。人権が何よりも尊重されるような権力の形態が、言葉の本来の意味での「民主主義」国家なのだといえよう。
と、実に平易に説明してくれている。類書で「人権の定義」としてしかつめらしく記述されるような、分かりにくさを排除していて、嬉しい限り。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

納税者番号

  元旦のニュースで、やや古いのだが、「納税者番号制度」導入、政府・与党が検討始めたという。
  サラリーマンに比べて相対的に、自営業や農家の所得は捕捉されない部分が多いと言われるが、税金徴収の不公平感を解消するには、納税者番号は有効だ。これまでは、プライバシーの観点から、納税者番号に対する抵抗感が強かったが、住基ネットが稼動した今となっては、プライバシーは争点にはならなくなった。私は収入を全部捕捉されているし、今後立場が変わっても誤魔化す気はないので、導入に賛成。ただし、利便性が高まる反面、人権侵害につながりかねないので、公的機関が保持する他の情報との名寄せを防ぐ仕組みを確立する必要がある。
  ところで、そろそろ国内資産の海外への逃避が話題になりはじめているが、海外で得た運用益の税金はどうなるのだろう。疑問のままとりあえずメモ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

勇み足で不正アクセス2

  不正アクセス禁止法の件で、データバックアップメモ - extended -さんからのトラックバックが「勇み足で不正アクセス」の記事に対してあった。技術系の人たちの考えでは、問題のサイトは(技術者の)一般的な常識を逸脱したずさんな管理が行われていたようにもとれる。そこで改めてこの件を、自動車事故との比較で再考してみる。

  自動車は、市場に出る前に、安全基準による検査に合格することが求められ、市場に出てからも、資格を持った整備工場での車検によって定期的に安全性を検査され、事故発生後は警察により検証が行われる。メーカーが設計の欠陥に後から気付いたときは、リコールの形で公表、修理をしなければならない。
  一方、運転者に対しては、運転免許を取得することが求められ、免許更新のかたちで、定期的に運転能力と適性の検査があり、交通ルールを甚だしく破ることがあれば、免許の停止もある。
  これを、情報サービスに置き換えてみるとどうなるだろうか。自動車メーカーはベンダーに、運転者はユーザ企業に、個人情報をユーザ企業に預けた個人は、例えばタクシーの乗客に、それぞれ置き換えてみる。事故のイメージは、タクシーが事故を起こし、乗客に怪我をさせた、といったところか。事故原因は、ブレーキの欠陥、整備不良、運転者の運転ミス、などがあり得る。
  そのように比較してみると、事故防止の枠組みがおぼろげに見えてくる。
・ソフトウエアの品質は一定基準を満たすよう、流通前に公的機関の検査を受けること。
・ソフトウエアは定期的、かつ安全基準改訂時に公的機関による品質検査を受け、必要に応じてアップデートすること。
・ベンダーは、ソフトウエアの欠陥に気付いたときはリコールにより、公表、回収、修正を速やかに行うこと。
・事故が起きたときは、公的機関が原因を検証すること。
・ユーザ企業は、安全管理の公的資格を取得し、定期的に更新すること。
といったところだろうか。
  リコールによる公表をすべきかどうか、公的機関の関与ではなく民間だけで対処すべきかどうか、など、検討課題はたくさんあるが、枠組みの一例と考えたい。

  自動車の安全性チェックの仕組みは、自動車誕生の当初からあったわけではない。1960年当時の米国では、走行中に車が横滑りを起こしたり、タイヤがはずれる事故が相次いでいた。しかし自動車メーカーは、事故の原因はドライバーの側にあるとして、責任を認めなかった。そこで、弁護士のラルフ・ネーダーが中心となって、現在では消費者運動として一般的になった運動を起こし、今に至る自動車の安全管理の制度ができあがってきたのだ。情報サービスの安全性も同様に、これから長い時間を経て形成されていくのだろう。
  ここでは、ケーススタディとして自動車事故を取り上げて比較してみたが、個人情報漏洩が、自動車事故と比較できるほど重いものなのかどうか、議論の余地はある。厳しすぎる規制は、社会的にはロスを生むだろう。また、情報システムの進化の早さも、現在の自動車におけるものとは、単純に比較できないかもしれない。しかし、事故を防ぐための一般的な枠組みとして一応の完成を見ている自動車のケースは、参考にはなるのではないか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.01.05

お悔やみ

  参加して1年ほどになるフリートーク系MLの管理人さんの奥様が、白血病で亡くなられた。昨年秋頃入院して無菌室に入り、家族との会話もインターフォンを通すような状態だったが、12月に一時帰宅、年末に再度入院してそのまま逝かれたとのこと。謹んで奥様のご冥福をお祈りします。
  管理人さんは無類の読書家で、豊富な知識とウイットの利いた投稿で、MLをいつも快適な空間にしてくださった。できることなら今後も、管理人を続けて欲しい。昨日の今日で、気落ちするなと言うのは無理解無責任だが、おなじみのMLの面々とのコミュニケーションで、なぐさめられることもきっとあると思うのだ。しばらくはそっとしてあげたいが、思春期の2人の娘さんのためにも、早く明るくて思慮深い管理人さんとして復帰して欲しい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

勇み足で不正アクセス

  なんとも困った事件がおきた。
スラッシュドットの記事「欠陥を指摘するはずが個人情報流出。セキュリティ専門家に捜査の手」、asahi.comの記事「ネットの脆弱さに警鐘」国立大研究員が個人情報を公表
これをやらかしたofficeと名乗る人の謝罪文

  ベンダーやサイト管理者に警告を出さずに、クラックして得た個人情報を公表したとのことで、本人も謝罪をしているとおり、あきらかに問題行動だ。不正アクセス禁止法の条文を型どおりに読めば、このハッカーは同法に触れていると思う。
  それはそれとして、本人の弁明のうち、「ベンダーに警告しても相手にされない」「サイト管理者に証拠つきで警告すれば、不正アクセスと受け取られるおそれがある」という点に注目したい。もしそうであれば、技術的な欠陥は放置されたままになる可能性が高いのだろうか。
  望ましいかたちとしては、このハッカーからの指摘をベンダーとサイト管理者が真剣に受け止め、対策を講じ、サイト利用者の不利益を招かないようにすることだろう。その際、指摘を行ったハッカーに対して、応分の謝礼があってもよい。
  もし、サイト管理者が対応を怠り、実際に利用者に被害がでた場合、利用者がサイト管理者の罪を咎めることで、管理者の姿勢を改めさせることができる。「相手にされない」件のハッカー氏は、それを待つべきだったのではないか。
  ハッカー氏が、技術の欠陥を指摘し、サイトへの不正アクセスを防ぐつもりであったのなら、他にとるべき方法はあったはずだ。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

2004.01.04

20XX年問題

  日経朝刊に面白い記事がのっていたのでメモ。今後発生しうる20XX年問題を一覧してみたもの。それによれば、

2004年 流通・外食産業の三重苦。
2005年 都内マンション大量供給。日本の会計基準の孤立化。
2006年 新学習指導要領世代の大学入学。エチレン大量供給。
2007年 高級ホテル林立。
2008年 国債大量償還。
2009年 大学全入。
2010年 団塊世代の大量退職。
2011年 地上アナログ放送廃止
  体裁を整えるためにややこじつけた感もなきにしもあらずだが、私に直接影響がありそうなものについての感想と対応をメモ。

  都内マンション大量供給は、賃貸に出そうとしている我が一戸建ての賃料に影響するだろうか。なるべく長期の契約にして、影響を先送りしたい。
  国債大量償還は、国内資本の海外逃避、株価下落、インフレにつながるらしい。不動産を持っているので、インフレはむしろ歓迎だろうか。本当かな。
  団塊世代の大量退職は、この世代対象の新規ビジネスの可能性が以前から言われている。因みに、実際には、2003年から2006年まで右肩上がりで急増し、2007年から2010年が高原状態で続く。さてどうなるか。。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ネット法律相談

  面白いサイトを見つけたのでメモ。第一法規がやっている、「企業のための法律相談Q&A」というサイトがある。これは、弁護士ではない法人によるサービスだが、仮に弁護士の資格を持っている人がやれれば、なおいいのではないか。弁護士法上、まだ出来ないのかもしれないが、いずれできるようになることを期待したい。
  上記のサイトは、「法律相談に答えられるのは弁護士資格保持者に限る」という法律に対して、Q&Aをサイトに掲載し、有料会員が閲覧できるようにするという方法で、うまく逃げている。こうしたサイトを核に、特殊な相談に弁護士が個別に応じるサービス、あるいは、新しい法律の成立や、その影響、事前準備などを知らせるメールマガジン、セミナー開催、などなど、いろいろなリーガルサービスが、周辺に成立し得るのではないか。要注目。

  このサイトに関連して、考えたことを2点メモ。
▼弁護士法人の無限責任。
現在、参加弁護士は無限責任だが、有限責任によるLLCとの関係が今後どうなるのか。リーガルサービスというサービス業として弁護士業を考えるならば、有限/無限責任についても一考すべきと思う。仮に有限責任による営業がOKになれば、弁護士利用料はもう特に下方向に柔軟な設定が出てくるのではないか。
▼リーガルリスク管理ビジネス
前にもメモしたかもしれないが、企業に対して訴訟リスクを管理するための保険がないだろうか。弁護士などの法律専門家は、リスク鑑定業として成り立つ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

日本版LLC始動間近

  日本版のLLC(Limited Liability Company)という制度が、2005年あたりから始まるらしい。
LLCというのは出資者全員を有限責任とし、内部ルール(組織形態など)は法律の制約を受けずに自由にできるという、株式会社と組合の利点を併せ持った組織形態なのだそうだ。
LLCの説明はここ

  起業に便利な制度として見ることができるだろう。要注目。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.01.03

湯の市

  昨日の余勢をかって(笑)今日は藤沢の「湯の市」に来た。広くて明るくて、都心近辺のスーパー銭湯とは、一味違う。場所が少々わかりづらいが、丘の上の気持ちのいい場所にある。
  正月なのに(正月だから?)満員だが、芋洗いな感じはあんまりない。それだけ広さがあるのだろう。特に主浴槽と露天風呂は、明るい陽だまりの中で、最高によい気分。

  噂の死海の湯は。。。浮かなかった。ちゃんと「浮きません」と表示もある(笑)。死海と同じミネラル成分にしてあるとのこと。髭剃りあとがひりひりした。
  因みに説明書きによれば、死海の海抜はマイナス400メートル。ということは、水はどこにも逃げないで蒸発するだけか。そうすると、成分はどんどん濃くなって、スープのようになってしまうのだろうか。きっと湖底には有機物が層を成して沈殿しているに違いない。あんまり清冽な感じはしないなあ。
  クレオパトラが香水化粧水の原料にしたとか、ヘロデ王の持病の皮膚病が完治したとかの記録が残っているらしい。

  細部でよかったことがひとつ。湯船の縁石はきちんと面取りしてあった。昨日行ったみうら湯は、これをしてなくて、頭をあずけると痛かった。まさに、なんとかはディテールに宿る。

  さて、お休みも今日でおわり。江ノ島にでも寄って帰ろう。。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Coolな広告フィルム

  いつも面白くておしゃれなコンテンツの紹介で楽しませてくれるcat@logのサイト。新年早々、さっそくアディダスのがんばってるフィルムの紹介があった。同じところにあった英国ナイキの負けとのこと。確かに。でもこっちのナイキもちょっといいかも。「負けナイキ」と同じコンセプトだけど、女の子ががんばってる分、1ポイントプラス。(笑) 
  このサイト、apa50というところに英国の広告フィルムがたくさん載っていて、ADSLの遅さにもめげず、全部見てしまった。HONDAの広告なんか、いい。言葉の説明一切抜きで目を惹きつけるだけでなく、商品の訴求点を映像の流れの中にうまく組み込んであるところが、広告として押さえるところを押さえていて、すごいと思いました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

米国スポーツ選手に見る粗暴

  衛星放送ではスポーツ番組を多く放送している。正月はあれこれチャンネルをまわして見てみた。スケートボード(ハーフパイプ競技)、自転車(スーパークロスみたいな、ジャンプ競技)は、妙技の連続で堪能した。
  しかし、けちをつけるたくはないが、気になることがあった。それは、難しい技を決めた直後の、トップ選手の振る舞いだ。スケートボードを、地面にたたきつけたり、自転車を蹴り捨て(というべきか。。)たりして、興奮を表現する選手が、優勝した米国選手の中に何人かいた。一流スポーツ選手の粗暴とも思えるこうした振る舞いに、私は馴染めないものを感じる。
  もちろん、野球でホームランを打った選手や、相撲の勝ち力士などが、ガッツポーズをとるくらいは、かまわないと思う。しかし、自分と一体であるはずの道具を粗末に扱う振る舞いは、私には理解できない。その妙技を決めるために、丹精込めて手入れして、体の一部になるまで練習した道具ではないか。たとえ、いくつもあるスペアのひとつに過ぎないとしても。
  子供のころは、「ものを大切にする」ように、親からよく言われたものだ。ものを粗略に扱わない気持ちや振る舞いが、ひいては粗暴さを抑え、立ち居振る舞いの気品につながっていくと思う。そうした感覚は、大量消費時代にはもはや相応しくないのだろうか。そうとも思えないのだが。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

みうら湯

  正月2日に、京急弘明寺駅近くにある「みうら湯」にいってきた。海洋深層水の湯を使ったスーパー銭湯だ。料金は800円。
  海水浴にいくと肌がべたつくけれど、ここの深層水の湯はそんな感じではなかった。また、磯の香りもほとんどなかった。匂いや肌触りからすると、塩分は薄いようだ。
  磯の香りというのは、いろいろな有機物の混じりあった、案外複雑な匂いなのかもしれない。あの香りは好き嫌いがあるから、客商売の銭湯としては、ないほうがよいのかもしれない。私は好きなんだけど。
  なお、海洋深層水の風呂は、他にもいくつかあるらしい。京急がやっているものだけでも、平和島、油壺にあるそうだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.01.01

初日の出

観音崎に着いてみると、あいにく東の空には雲がかかっていた。
日の出の時刻を過ぎて、今年の初日は無理かと思い始めた頃、
その雲の層に開いたピンホールから、強い光が射した。それは
陽の光というより、明るいランタンのように、雲の手前の空中に
輝きを放って浮いていた。やがてその光も雲の中に消え、気が
付くとあたりはすっかり薄青い街の朝を迎えていた。

針の穴を通すような希望の光。
今年を暗示するような初日の出だった。

というわけで、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

鎌倉駅前の茶店より。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« December 2003 | Main | February 2004 »