「パシフィック・リム:アップライジング」
かいじゅうでかい。
富士山は世界の臍。
まあ、それだけ見に行く映画ということで。
結局モリマコが命を懸けて送ったデータは何だったのかとか諸々、聞いてはいけません。
そうそう、日比谷にできた新しいIMAX3Dは新しいだけあって改良されてます。縦もそれなりに長いし、輝度を上げているそうで、メガネを通しても以前ほど暗くならないのがよいです。
アバター2はこれで観たい。
かいじゅうでかい。
富士山は世界の臍。
まあ、それだけ見に行く映画ということで。
結局モリマコが命を懸けて送ったデータは何だったのかとか諸々、聞いてはいけません。
そうそう、日比谷にできた新しいIMAX3Dは新しいだけあって改良されてます。縦もそれなりに長いし、輝度を上げているそうで、メガネを通しても以前ほど暗くならないのがよいです。
アバター2はこれで観たい。
ロシアの国内事情とか生活実態というのは、さっぱり知らないのですが、普通に人の営みがあって、結婚とか離婚とかもあって、ということなのだなあ、ということを、この映画を見ていて思いました。
子供への愛情が薄い親だって普通にいるのでしょう。
そういう普遍的なものをこの映画からは感じました。
子どもが失踪したときの周囲の反応とか当局の対応とかボランティアの手際のよさとか、どこの先進国でも普通にあるだろうと。
むしろ過剰にエモーショナルな演出をしないだけ、真実味があります。
さてその真実ですが、なかなか正視しづらい内容を孕んでいます。
特にグロテスクでもなく、犯罪的でもなく、ごく普通に、われわれは自分を中心に生きているという事実が、これほど正視しづらいとは。
子どもという要素を投げ込むと、こんなにもそれが悪いことのように見えてくる、そこが見るに堪えないところです。
世の中に絶望している人とか、過度に楽観的な人とかは、観るといいのではないかと思う、そういう映画でした。
メディアには、権力を監視するという役割があって、それが民主主義の重要な支えであるのは疑いない。最近のメディアの質の変化は別として。
本作はそのことを改めて思い出させてくれる。
興味深いのは、いわゆる切れ者やスマートな人々は、権力からの圧力に案外無抵抗だということ。本作に登場する、ワシントンポストの取締役はその代表格だ。社主の女性の亡くなった夫君も、そうだったのだろうと思わせる。
そうした圧力の下で、目に見える「利益」や、自身も含めた関係者の「幸福」という言葉に惑わされずに、もっと深い部分にある「哲学」に従って判断を下せたのは、常に控えめであることを強いられてきた女性社主だった。彼女が、周囲の友達に気を遣ういわゆる和を尊ぶ人から、大きな間違いに目を瞑ることはできない人間に成長するところが、この作品の眼目だろう。
その判断は、一人彼女にとってだけでなく、我々全員にとって幸いなことだった。
いま同様のことがあったときに、どうだろうか。
そういうことを考えさせる点で、たいへんタイムリーな作品でした。
スピルバーグは、これを数か月で撮りあげて世に出したそうだが、さすがです。
脚本もすばらしい。公式サイトに詳しく載っています。
このヴィジョンは、割と好き。
映像が移り変わっていくときのめくるめく感じがよいです。
お話はあまりにも典型的なので、たぶんそれがもうひとつウケてない理由でしょうか。
ワタクシ的には、この定番な感じが悪くなかった。
評判がいいので見に行ってみたけど、どうだろう。
ドウェイン・ジョンソンが、マッチョなボディに気弱なオタクの表情っていうのを自在に演じていて、そこは驚いた。プロレスラーから役者に転じて、演技の練習とかずいぶんしているんだろうな。
一生懸命な感じがいつも滲み出ているのがいいドウェイン・ジョンソンでした。
まあ、映画の方はジュマンジだしw
これはもう、ハリー・ディーン・スタントンを称える映画。それに決まってる。しぶいのう。「名脇役」の評価とおり、すごい数の出演作で脇役を務めた。アベンジャーズで警備員までやってる。気づきませんでしたわ。
主役といえば、もちろん「パリ・テキサス」。ええのお。
たぶん自分的通算ベスト10に入ると思う。いやベスト30くらいか。
本作で彼が演じる老齢の主人公は、死の近さを自覚してある悟りを得るわけなんだけど、その手掛かりというか切っ掛けになったのは、バーで知り合った退役海兵隊員が太平洋戦争従軍時に沖縄戦で遭遇した日本人少女の死を前にした不可解な笑顔の記憶。長いので息継ぎ注意。
その悟りに達する直前に、いきつけのバーで、オーナーのマダムに喫煙を咎められて口論になり、そこで、ふと、名セリフを口にする。
具体的にどう言ったかは覚えていないけれど、所有という観念を乗り越えたその先を指し示していた。他人に所有を放棄するのを迫るだけなら単なる我儘だが、自分の所有をも同時に否定し去るのは、悟りと呼ぶほかないだろう。そして、かの少女のように彼は微笑むわけだ。
いいなあこの表情は。
この主人公は等身大のわれわれと同じように、いろいろなルールに囚われているんだね。作中を通してずっと。
それが、終盤に来て、知り合いのパーティーでふと緩む。スペイン語で愛の歌なんか披露してしまう。そうしたら、場の人たちと一緒にとても和やかな空気につつまれるのだ。
それが、最後のあの表情に繋がっている。
そういう悟りを示して見せるのが、本作の脚本の狙いであり、
そういう顔をカメラの前でつくれるのが、この俳優さんの実力だ。
エンディング・テーマも、彼、スタントンを称えている。
長い間お疲れ様でした。
よい作品をありがとう。
ちょっと勢いで書き殴ったから、ポイントがずれてる気もするが、まあいいか。
良作であることは間違いないです。
ゲイの映画は苦手です。よく理解できないから。
でもこの作品は、ゲイとエイズを描きながら、その枠を超えて訴えるものがあります。
以下、作品同様とりとめもなく。
物語の中心にいるのは、偏見にさらされる少数者の群像。彼らは、社会的弱者の主張を世の中に認めさせるには、黙っていてはだめで、行動しなければならないと考えています。いわゆるアクティビスト。
我々普通の人々は、日常の中で、そういう少数者に意識するしないを問わず偏見を抱いています。「だってあいつら変だよね」「そんな過激な行動をとるなんて非常識だよね」
TVでデモなどを眺めて、迷惑な奴らだなとつい思ってしまいがちな普通の我々です。
確かに彼らは私たちとは違うところがあるのですが、それでも生きている人間の一人一人に違いはありません。そのうえ、この作品の特徴ですが、エイズ患者は死の淵に向かって刻々と追いやられている人たちなのです。そこが、少数者という言葉だけで単純に括れないところであり、この作品に、ゲイの生態を描くという枠を超えて力を与えているところです。
作品は当初、そんな深刻さを見せずに、彼らアクティビスト達の生き生きした活動ぶりを描いています。ノリがよい。
毎週開かれる集会では、言葉に強さがあり、議論に節度があり、知恵あるまともな人たちに見えます。そこがこの作品のうまいところで、多少の行動の過激さを十分に正当化しています。日本のアクティビストさんたちも、少し見習うところはあるんじゃないか。
そんな彼らも、自分の健康が日々損なわれていっていることを冷酷な数値で、あるいは症状の悪化で示され、時折冷静さを失います。誰だって死の恐怖からは逃れられません。
ひとり、そしてまたひとり。昨日まで生き生きと議論し活動していた友達が、徐々に生気を失い亡くなっていきます。それが何かを強化したかというと、そうは見えないのが、この作品の現実味を支えています。
誰かが亡くなっても、昨日と同じように、明日もまた抗議活動は続いていく。何かが劇的に変わるという感じはありません。まるで、人の命が少しづつ炉にくべられて、彼らの継続的な活動の熱源になっているかのようです。爆発はしないけれど、沈静化もしない。
現実味という点でもうひとつ。本作では、彼らがどうやって生活の糧を得ているのかについても、手短に答えています。そういう描写を省かないところも評価できます。
後半、彼らの主要メンバーが徐々に弱っていくのを看取るフェーズは、少し長すぎる気もしますが、それも現実の一側面なのでしょう。賞をとるだけの価値はなるほどあるかなと思った一本でした。
大英博物館が開催した北斎の企画展に即して、北斎という画家と作品を描写した映画。企画展の裏話のような楽屋オチは一切なく、北斎という人間を、その膨大な作品を通して読み解こうとする試みに集中していて、とても好感が持てる。
実際のところ、よく知らなかった。すごい人なんだなということは漠然とわかっていたけれど、せいぜい富嶽三十六景がお茶漬けのカードになってたなくらいの理解しかない無学無教養なのだ。
それが、この映画を見ると、彼の画がどんな思想に基づいていたか、とか、90歳までの人生でどのような変転があって、それが画にどのような変化、というか進歩をもたらしたか、といったことに触れることができる。ありがたいですな。
彼とその作品群を絶賛する英国人が、映画の中にたくさん登場するのだが、彼らの視点は2つある。一つは、万物に魂が宿るというアニミズムに何かを感じる視点。もうひとつは、年齢を重ねるほどに技巧が熟達し限界を感じさせない精神の自由さを称揚する視点。この二つが同居している北斎の人柄に、英国人はいたく感動したようだ。
まあ、我々日本人としては、比較的普遍的なものだと思うのだが、彼らにとってはそうではないらしい。
それにしても、80歳を超えてからの肉筆画の迫力はすごい。NHKの8Kカメラを持ち込んで、肉眼ではわからない細かなところまで観察しているのだが、その筆致の精密さはおどろくばかり。
ひたすら圧倒されました。
こういうのを映画にしてくれるのって嬉しいです。
”You.. have my support."
素晴らしい一言。
この国王はジョージ6世。「英国王のスピーチ」でコリン・ファースが演じた、吃音の気弱な王様だ。
チャーチルという人は、負けん気の塊のような印象があったけれど、本作では、史実の写真で見るギトついた感じとは違って、人々のサポートを必要としている気弱な人に描かれている。ゲイリー・オールドマンがそういう風にうまく演じている。「レオン」で狂人のような刑事を演じたのと同じ人とは思えない。よい役者さんですね。
お話は、第二次大戦開戦間もないころの英国の政争を映す。チャーチルが、味方の犠牲に心折れながらも、ヒトラーのナチスに対して断固抗戦する方向へ国民を引っ張っていく過程を描いている。
戦時内閣の中で和平論者に囲まれ四面楚歌の中で、徹底抗戦を掲げる彼を支えたのが、この国王の一言。痺れます。本当のところはよくわからないけれど。
今は核兵器のような危険すぎるものがあるから、当時とは違う考え方もあるとは思うけれど、大義というものを常に見据えて、勝ち負けや生き死にとは異なる次元で判断する者こそ、真のリーダーと呼ぶべきなのだろう。
そういうことを教えてくれる良作でした。
いや、チャーチルの映画のはずなのに、国王の方がかっこよく見えました。原題は"DARKEST HOUR"で、チャーチルとはなっていないから、案外そういう理解でいいのかもしれません。
ギレルモ・デル・トロは異形を描く作家だ。
人間の世界と異形の世界との間に明確な境界を設けず、重ね合わせながら、人間世界の中の異形と、異形の世界のなかの人間性を描き出す。
そうすることで、本来人に備わっている二面性を浮かび上がらせる。
パンズ・ラビリンスでは、スペイン内戦の非人間性と、そこから逃れようとする人間性の儚さを、悲劇の形で描いた。
その彼が、本作ではロマンスを取り上げて、冷戦の非人間性を背景にしながら、ロマンスを「謡い上げている」。そういうと大袈裟なようだけれど、この作品の温かな感じは、パンズ・ラビリンスのときの哀しく冷たい感じとは違う。
主人公が結局、人間世界の非情や不条理の中に留まることができなかった点では同じなのだが、しかし、本作の結末は、パンズ~と違って温かい。彼はこの作品で、ひょっとすると、死を乗り越えたのかもしれない。
そしてそれは、想いはあっても声を持たない大多数の平凡な人々を力づけ励ますものであるかもしれない。
劇的ではないけれど、じんわりと良い具合です。